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一流の仕事人の頭の中/SWITCHインタビュー達人達/黒柳徹子×井上八千代

私は一流の人が普段どの様な考え方をしているかを知る事がとても好きで
その方々から学ぶ思考をモチベーションにしています。

今回はSWITCHインタビューから黒柳徹子さんと井上八千代さんの対談で響いた言葉をピックアップして残していきたいと思います。

●黒柳徹子さんとは?https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9F%B3%E5%BE%B9%E5%AD%90
●井上八千代さんとは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%85%AB%E5%8D%83%E4%BB%A3#%E4%BA%94%E4%B8%96%E5%AE%B6%E5%85%83_%E4%BA%94%E4%BB%A3%E7%9B%AE%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%85%AB%E5%8D%83%E4%BB%A3

人を育てる事の難しさとは?:井上八千代さん

黒柳徹子さんから
「怖い先生ですか?」という問いに対して
「私は稽古は厳しいものかと思って育てられてきた」と言います。
「現在の芸妓さん舞妓さんも生き生きしていて欲しい、楽しいと思って舞台に立って欲しい。」と言う思いを抱えながら指導している様です。

その物事を教えられるように何度も行き当たっていて
「それぞれの人の良さ美しさ、伸びやすさを生かす事はどうするか。」

教え方は「いかに彼女たちと接するか、もっと暖かい心で接するように褒めてあげる事も大事、彼女たちが喜んでくれるかっていうのも最近気がついた。」といいます。

指導する上でも様々なタイプがいる:井上八千代

同じ事で同じように稽古をしているのに怒りやすい人とそうじゃない人がいる。

どう言っていいかちょっと躊躇してしまう人がいる。
人が人にものをうつすわけだから対し方がある。
その人には
「嫌だから怒れないのではなく、祖母もそうでした」
「他の人にはそんな怖いのに、どうしてこの人にはこんな喋り方なのか。」
「という人が数人いました。」
「それが人が人にものを教える面白さなのでしょう。その方はそれで伸びる方だってのでしょう。」

人との出会いの巡り合わせ:井上八千代

若いうちに出会っておいて出会い直す。
「同じ人に出会ったとしても、若い時に印象に残らないと思っていた人でも、次にあった時には全然違うと感じる人もいます。それは物事も曲目もあります。」
「いろんな経験をしてわかる事があると思うんです。」
「雪の冷たさ、寒さを知ればまた変わってくる。」
「もっと表現も多様になるように沢山の方と出会っていきたい。」

「人と会う事が一番大切ではないかと思います。」

黒柳徹子が舞台で喜劇にこだわる理由とは?:黒柳徹子

喜劇は出て行った瞬間がお客様と一体になれるか、出た時が勝負。
黒柳徹子が喜劇にこだわる理由は?と言う井上の問いに、
世の中ってどうしても憂鬱なこと、悲しいことが多い。」
「なので喜劇をやって瞬間でも皆様に笑って頂けて『あぁ面白かった』って帰って頂ければいいな。と思っている。」

「舞台を作っていく為に、世の中よく見て、どういう人が暮らしているのか、そういう感じの人はどういう行動をするのか、よく見るようにしている。」

想像して作って行って、うまく行ったと思ってもらえることが良い。。

両親の大切さと子供心:黒柳徹子

幼少期はやんちゃな子供だったが、両親が自分を理解してくれた事がありがたい。
母親の力って大きい。

「自分は子供の感覚でものを見ている。」
子供って本当に知らないから、どんどん人に聞いたりとか色んな事ができると思うんですけど、私もやっぱりそんな風で、大人にはなりましたけど、子供みたいに何もないところにいろんなものを書いていく人生っていいなと思います。

テレビの事:黒柳徹子

長く出ててもテレビって今だにまだわからない。

昔と今のテレビと違は。何があってもその日に起こった事がその日に放送されてしまう事。
全てが生放送。

「一定の時間の中で一つのものを作るのは気持ちが1つにならないと出来ない。」
「昔の方が今よりも心を一つにして番組を作っていた。」
「録画が出来てから失敗したらなんとかなると思うようになった。」
「昔は何がなんでも乗り越えなきゃいけないと思ってベテランでも新人でも手をつないでやっていた」。

生放送と舞台は同じ。舞台を始めたのも生放送が良かったから。
39歳に芸能活動をやめNYで演技に勤しむ。この辺で一度勉強し直さないとと思った。
上手だと思う女優さんは全部舞台出身。

おしゃれの個性は自分の演出、見ている人が退屈しない程度に。

今やっている仕事を片手間に出来なくて、結婚を見逃してきた。

幸せや戦争についての体験:黒柳徹子

個人活動でユニセフや国際活動を行っているがその大きな行う理由は?
「日本が戦争が終わって本当に食べるものがなかった時に、ユニセフからたくさん粉ミルクをもらった。」
「あれがなかったら栄養失調になったと思って感動していた。」
「戦争は小学生高学年。学校に行っていて今日家に帰ったら家があるかないか、空襲で焼けているかもわからない、そういう中をくぐり抜けてきました。」
本が夜読めた、空が赤くて。その中から生まれてきた大事な命。
日本全体が、ここで踏ん張らないと。戦争が終わってもここから頑張らないと。と言う太いみ幹が育まれた。


今の世の中は本当に幸せなんだと再認識しなくてはいけない。
なんでも食べ放題になっている恵まれた世の中。
昔はキャラメルくらい。恵まれている世の中を大切にしていかないといけない。

これからと健康の秘訣:黒柳徹子

100歳に向けて今のままいければ良い。
違う姿になる誰かの姿を借りて自分を表現する楽しさがある、
自分の好きな事をやっていく事が大事だと思う。
自分で好きな事をやっている、それが健康の秘訣、楽しい事があったほうが良い、笑っていられる自分がいる事。