“世界の中心で愛を叫ぶ”や”モテキ”などで主演を務め、現在ダンサー・俳優として活躍している森山未來さんとリオ五輪の閉会式のクリエイティブディレクターを行った人物の菅野薫さん。
お二人ともその場の舞台を楽しむ姿に学び方や考え方を学びます。
分かりやすいからテクノロジーが表現している。
”この道具を使うかっていう事が目的にはならない。”
”わかりやすい事を単純に可視化して理解する。”
テクノロジーを駆使して表現を行うことの多い菅野さん。
手段が目的にならず、目的を分かりやすく表現する為に自分が表現しやすい、相手が理解しやすいテクノロジーという技術を用いているだけ。
アイデアの生み出し方。
”ダメな人なので、別に何もしなくていいんだったら何もしない。”
”お題があるから動き出す事もある。”
”アイデアってゼロから、神から降ってくるよりは、生きてきてみて知識だったり教養、
自分の中で感じた感情の記憶からしかたぐり寄せられない。”
”強引にじゃないですけど、自分の中にあるものとパッと与えられたものが出会って、その組み合わせは考えた事がなかっただろうというものが出来た時にストーリーとしてすごく面白くなっていくる状態になる。”
”新しい事を思いついた時に、誰とやろう。森山さんとやろう、初めてだけど想像つかないけど、どう解釈するだろう。
みんなが出すアイデアに対してワクワクするし、自分なりに咀嚼してストーリーとして一本化する事が自分の着想の糧になったり、仕事の経験になったりする。”
”お題に対してどう答えるかが思考。”
”流されてここに来ている、戦略的人生ではない。”
アイデアとは自分が経験してきた自分の中に備えているものが次のアイデアを生み出す事につなぐ。とにかく一つでも多くの経験と皺を刻んで備える事は人生にとってとても重要な事なんだと実感しました。
俳優として行定勲監督の助言。
”芝居と踊り初めから交じっている。実家がダンススタジオだった。”
行定勲監督に言われた一言。「映画」は日記みたいなものだから、何かをしようとしなくていい。」そこにいたら、その時代、その場所、あなたが切り取られているだけ。
”「何かしようとするな」”
何かをしようとしない。とても簡単そうで、とてもとても深いことです。
それは自然に馴染む事。
どんな物事でも大切にする事への一歩ではないでしょうか。
コンテンポラリーという世界を知って、創作方法の多様さを知った。
海外は実存主義。
自分の肉体、自分というある種の自我みたいなもの。
それもしっかり主張しつつそこにいる。
このままでどこにでもいける術はないのかと考えるようになった。
できるだけ、どこまで同じ歩き方で「居方」でその場所にいられるか。
どういう職業の人と会話することになったとしても
とてもニュートラルな形で会話できるべき
会話できる場所が縦軸、ではなく、横の円になってほしい。
来いよというスタンス
音響さんの主張、照明家さんの主張。色んな人達の主張を、いろいろ交換しながら物事がモヤモヤっと立ち上がっていく。ことが海外で感じたこと。
お互いが何をしようとしているのがフラットな目線。大切な感覚。
自分たちの活動をアピールしていったことは周到だった。
作っていく中で捨てられたネタなんて山ほどある。
そんな中で気がついたら「こんなのができていた」みたいなことが多い。
どこかで自分たちの直感を頼りに、それをできる限り、僕らの中のロジックで汲みあげる方法、また別の理解をしてもらう方法はなんの魚か考える。
今やっていることはマイナーだとか、今やっていることはメジャーだとか
そういう概念すらもあんまりなくなっています。
“自分の作っているものが適切な人には届くようにしたい。”
“自分が楽しめる範疇でやれることをやる。特に特別なスタンスはない。”
今やっていることはマイナーだとか、今やっていることはメジャーだとか
そういう概念すらもあんまりなくなっています。
自分の作っているものが適切な人には届くようにしたい。
自分が楽しめる範疇でやれることをやる。特に特別なスタンスはない。
ただ、それだけ。
終わりに
いかがでしたでしょうか。
お二人の表現者としての言葉の数々に胸を打たれっぱなしでした。
中でも二人はメジャーな部分からマイナーな部分まで理解した上で、自分が楽しめる事をやる事を自分の方法で純粋に表現しているのだと思います。
お互いにステージは違いますがその場で響く人に向けて、一つ一つ魂込めて作っていく事が
の重要性。自分と相手との距離感を大切にしていきたいと思います。